会津坂下町
金塔山 恵隆寺 立木観音

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立木観音外観写真

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日本最大級の観音様

十一面千手観音菩薩写真寺の歴史によれば、本尊「十一面千手観音菩薩」は、大同三年(808年)に弘法大師(空海)が観音菩薩の霊感を受け、根が付いた状態(立ち木)で巨木の枝を切り、彫刻されたことから「立木観音」と伝えられています。本尊の身丈は8m50cmあり、一木彫で根の付いている仏像としては日本最大級の大きさです。また、本尊の左右に安置される脇侍の二十八部衆、風神・雷神30体の仏像は、身の丈2m弱の大きさで、すべて揃っており、密教様式を忠実に表現しており全国的にも大変珍しく貴重な仏像です。30体の眷属が揃っているのは京都三十間堂とこの立木観音堂だけとも言われています。
みなさん、ご覧になれば必ず驚きますよ!!

こんな御利益・こんな言い伝え

脇侍写真●どんな願いもコロリとかなうだきつき柱
 堂内のだきつき柱に抱きつき、観音様のお顔を見ながら心願すればどんな願いもコロリとかなうと言い伝えられています。
●櫛の奉納
苦と死を納め、少しでも病気の苦しみや精神的な苦しみ、死への恐怖を和らげる為に多くの方が奉納しています。
●春日八郎と地蔵
当町出身の大歌手春日八郎氏が幼少のころ過ごしたのが、立木観音のある塔寺地区。氏が頭を投げて遊んだというお地蔵様がお堂の脇にいらっしゃいます。
●子授けから後生安楽まで
参拝者の三毒は三徳に、七難は即七福とご利益を授けてくださる観音様です。

『会津仏教発祥・財宝伝説』 〜高寺伝説〜

日本に仏教が伝わったとされた(五三八年)以前今から一千年以上も昔中国から青岩(せいがん)と言うえらい偉いお坊さんが仏教を伝える地を求めて会津にやって来ました。青岩は会津坂下町のある山を理想の場所として寺を建て「(せきとうざん)石塔山恵隆寺(えりゅうじ)」と名づけましたが、山のふもとの村人たちは、高い所に寺が建ったのでたかてら高寺と言い、いつしか山の名前が高寺山となりました。
その後、この寺は非常に繁栄し、高寺山には立派な七堂伽藍が建ちならび並び、山の所々に三十六坊舎を建てお坊さんの数は数千名にもなったそうです。
その後、徳一の開いた恵日寺と勢力争いが始まり、ついに戦火を交えることとなりました。 結果高寺山は敗れ建物は全部焼かれ、ほとんどのお坊さんは戦死または逃げてしまい、今は何一つ寺の跡は残っていません。三十六坊の中には、その後寺としてどくりつ独立し新たに建てられたのが二十ほどあります。高寺の昔の面影はなくなってしまいましたが、村々に伝わるふしぎ不思議な歌があります。

「立てば前 座ればうしろ山吹の黄金千杯 朱千杯 三つ葉うつぎのしたにある。」

昔、朱はたいそう喜ばれ黄金同様貴重品でした。寺がほろ滅びる時ひそかに宝を埋め、そこに目じるしとして三ツ葉のうつぎを植えたらしい。
その話は、まんざらウソではないらしく、明治の末のほんとの話で、村人が馬をに逃がしてしまい、馬は高寺山に逃げこんだらしく、方々かけめぐってやっとつかまえた時、馬の片足が血だらけでした。
小川できれいに洗い傷口をさがしましたが見あたらず、血ではなく朱に間違いないと村人はおもいました。その話を聞きつけ、何人もの人々が黄金を求めて高寺山に入り三つ葉のうつぎを探しに来ましたが、まだ見つかっていないそうです。 おしまい

伝説ですがこの話しが本当であれば、奈良京都より早くこの会津の地に仏教が伝わったことになります。

高寺山の財宝は今どこへ・・・・・

 

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【拝観時間】
午前9時〜午後4時
【拝観料】
お一人様 300円
御祈祷のご希望と団体での拝観の際は事前にご予約ください。

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