西会津町
金剛山 如法寺 鳥追観音
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全国でも珍しい東西向拝口!
奈良時代、天平八年(736年)の春、行基菩薩が会津巡錫された際、とある貧しい農家に宿をとられました。行基菩薩は、子に恵まれず、鳥獣害による不作の貧苦で悲嘆にくれる農夫を憐れみ、念持仏である一寸八分(約6p)の聖観音の御尊像をお授けになられました。
観音様の霊験は著しく、自ら鳴子の網をお引きになり、鳥や獣を追わせられたところ、その一家は豊作に恵まれ、子宝を授かり、皆幸福な人生を全うしたと伝えられています。
やがて西方極楽浄土に安楽住生が叶ったことが広まり、人々は「鳥追観音」又は「ころり観音」と呼び、多くの老若男女の信仰を集めるようになりました。
時代は移り、大同二年(807年)、徳一大師は、坂上田村麻呂公の帰依を受けて、金剛山如法寺を創建し、御本尊に行基御作と伝えられる聖観音像を奉安、胎内仏に「鳥追観音」を入仏秘されました。
御堂は、慶長十八年に再建されたものですが、その構造は東西向拝口というもので、東口から入り、参拝したら戻らずに西口から出るようになっており、全国でも珍しい構造の観音堂です。これは観音様の導きで人生を全うし、やがて西方浄土へ安楽往生が叶うという鳥追観音の御誓願を示しています。観音様に祈念して、「身代わりなで仏」をなで、肌守りを念持すれば、心願成就すると信仰されています。開創以来千二百年、「鳥追観音」は会津西方浄土の霊場、会津三十三観音番外二世安楽結願所、会津ころり三観音霊場のひとつとして、その広大無辺な慈悲を今に伝えています。
左甚五郎作の隠れ三猿
御堂の彫刻の中で有名な「隠れ三猿」は、観音堂再建の際、鳥追観音の霊験にあやかろうと左甚五郎が心を込めて刻んだと伝えられる名作です。その三匹の猿とは、鷹に襲われる猿(難より隠れサル)・鷹が猿を見失い難を逃れた猿(難を逃れサル)・手枕で丸くなって眠る猿(安楽に暮らしサル)の三猿で、観音の大慈大悲に祈願してこの三猿を探し得れば牡丹の蕾が花開くように幸運が開き「福マサル」といわれています。三匹目の猿はなかなか見つけられません(心に迷いがある方は見つけられないとも言われています)が、答えはこの説明の中に隠されています。
東北最大のコウヤマキ(福島県天然記念物)
境内には根周り約6メートル、目通り幹周り約4メートル、高さ約30メートル、樹齢1,200年のコウヤマキの巨木があり、徳一大師が開創の時記念植樹されたと伝えられています。
鳥追観音に一心にお参りし、御仏の大慈悲の心と千二百年の歴史を感じてください。
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金剛山如法寺 鳥追観音寺務所
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